ドイツクリスマスマーケットの旅 総集編1■ドイツクリスマスマーケットの旅 2011年12月13日~2011年12月21日■クリスマスマーケットを巡るドイツの旅 1 2011年12月13日 それに気が付いた時神様、私はそんなに悪い事をしたのでしょうか?と思わず思ってしまった。 飛行機が中国国際航空? よく見てみたら、最初から小さい字で中国国際航空って記載されていた。 私がよく見ていなかっただけなんだけど・・・。 よりにもよって中国国際航空か・・・_| ̄|○。 しかも北京経由。 お金貰っても中国には行きたくないと思っていたのに問答無用で北京へ連れて行かれる~~~~。・゚゚・o(iДi)o・゚゚・。。 墜落しないかな~もし中国で墜落して奇跡的に生きていても生き埋めになりそうだ( ;TT)。 やっぱり安いツアーだったから・・・。 でもドイツには行きたいので中国国際航空でもキャンセルせずにドイツに行く事にしました。 そうして早朝から空港に行きました。 空港の窓からパンダ模様の飛行機が見えたので、もしかしてあのパンダ模様の飛行機に乗れるのか?と少し気分が浮上したのですが、結局その飛行機ではありませんでした。 飛行機に乗り込んでも怖いな~と思っていたら、機内アナウンスで「カナダ」と言っていた。 カナダ?何故カナダ?カナダ経由じゃないし、最終目的地がカナダって事でもないよね。 ??・・・あ、もしかしてパイロットが“金田”って事? やった~パイロットが日本人かも!! 少し安心できました。 実際離陸も問題無く済みました。 そうして北京まで4時間。 北京空港に着いて、乗り換えなのですが空港内をかなり歩かされました。 これは日本への嫌がらせ? 中国には土地が有り余っているっている事を日本人にアピールする為にこんなに歩かせるのか? 思わずそう思ってしまう程空港の端から端まで歩かされました。 乗り換えの時の手続きもかなり時間が掛かりました。 たった2人でやっているんです。 何故2人?世界一の人口で人間が有り余っているんだからもっと係員を増やせばいいのに~~~0(>_<)0 。 まあそれでもどうにか乗り継ぎして又機上の人になりました。 今度は目的地のデュッセルドルフまで11時間です。 その間、機内食が出たのですがビーフかシーフードかと聞かれました。 どうも中国国際航空にはベジタリアンメニューは無いらしい。 シーフードと答えて貰った食事、シーフード・・・なんだろうけど味付けはかなりこってり系でした。 普通シーフードってあっさり塩味を連想すると思うんだけど・・・中国じゃそうじゃないのかな。 一緒に入っていたご飯はタイ米なのか細長いお米でパサパサしていました。 そして底の方は温め過ぎたのか乾燥してパリパリになっていました。 その食事の後サンドイッチが出てきたのですが、美味しく無かったです。 不思議だ。 私の記憶が確かなら世界三大料理って確か中華料理、フランス料理、トルコ料理だったのでは? なのに何故こんなに不味いんだ? イギリス料理が不味いんだったらやっとイギリス名物、不味い飯に出会えたとむしろ喜んだでしょう。 でも中国料理には不味さを求めたりしてないのに~。 その後同じツアーの人達も不味くて食べられなかったわよとか具は何だったのかしら等と中国国際航空の食事に対する苦情が多かったです。 デュッセルドルフに着きました。 着いた時、機内に坂本龍一の『エナジー・フロー』が流れた。 何故坂本龍一? 坂本龍一は実は中国人だったのか? 同じ坂本龍一の作曲でも『ラストエンペラー』なら分かるけど・・・。 そもそも中国ってしっとりとしたピアノ曲ってイメージじゃないんだけど。 ジャッキー・チェンの映画主題歌とかの方が合ってる気がするのですが。 まあそんな事もありましたが、どうにかドイツに入国できました。 入国審査の時、ドイツ係員とのにらめっこがありました。 何なのか分からないのですが、とにかく長蛇の列を作っている先で入国審査係員が無言で見詰めるんです。 何かわかんないけど、気まずいです。 これだったらまだ中国の審査の方が早かった。 ドイツ人、謎な人種です。 空港からバスでハノーバーのホテルへ直行しました。 そのホテルの部屋にはシャワーしかなかった。 でも排水栓らしき物はある。お風呂が無いのに。 下を見ると、確かに排水栓をすれば足首位にお湯は溜まるようになっている。 でも足首までお湯を溜めてどうするんだろう? 保温の為かな? そしてボディソープ、シャンプーやコンデショナーの代わりにボトルが1つ取り付けられていた。 Body and hair shampooΣ(!? ̄Д ̄)どうやら体も髪もこれ一本で済ますらしい。 コンデショナーインシャンプーどころか、ボディソープまで入れて1本にしちゃたか。 合理的と言って済ませていいものかどうか迷うな(゚ー゚;A。 一般のドイツ人もこれ1本で済ませているんだろうか? ■クリスマスマーケットを巡るドイツの旅 2 2011年12月14日 朝、ホテルでビュッフェ形式の朝食を食べました。 思ったよりも豪華で嬉しかったです。 ソーセージにチーズ、パンにいろんな種類のティーパック。 それにケーキにシュトレン!!までありました。 やった~シュトレンを買わずに味わえる。 やっぱりクリスマス時期にドイツに来たらこれを味わっておかないといけないと思っていたんですよ~。 ■シュトレン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 シュトレン(独: Stollen)は、ドイツの菓子パン。シュトーレンとも表記される(ドイツ語の発音規則としては正しくないとされる)。生地にはドライフルーツやナッツが練りこまれており、表面には砂糖がまぶされている。ドイツでは、クリスマスを待つアドベントの間、少しずつスライスして食べる習慣がある。フルーツの風味などが日ごとにパンへ移っていく為、今日よりも明日、明日よりも明後日、とクリスマス当日が段々待ち遠しくなる。 発祥はザクセン州のドレスデンで、その歴史は14世紀にさかのぼる。ドレスデンでは、12月の第1土曜日に巨大なシュトレンがパレードする祭りが行われる。 食べたら結構甘かったけど、味は良かったと思います。 食後、バスでハノーバー観光へ向かいました。 市庁舎やマルクト教会を見た後、マーケットを見ました。 市庁舎 マルクト教会 思ったとおり、お肉屋さんの店頭には各種のソーセージにハムが並んでいました。 八百屋にはイギリスでも見た白いニンジンが。
あとパリで食べた食べれるほうずきも売ってました。
ドイツでは歩道の中に自転車用の道路がちゃんとあります。 道を渡ろうとしていたら、自転車が2輪来たので踏み出した足を下げて通り過ぎるのを待ちました。 自転車の人は私に「ニーハオ」と言いました。 なので私も「ニーハオ」と言いました。 ・・・ちゃうねん! その後バスでツェレに移動。 ツェレに到着。 しかしツェレ城の前に移動遊園地の観覧車が!! ツェレは童話に出てくるような木組み家屋の街並みの街でした。 木組み家屋を見ていると時々曲がった柱があったりします。 日本家屋では柱を重要にしますが、ドイツでは壁を重要にするので柱は少々曲がっていても大丈夫なんだそうです。 ツェレで最も大きく美しい木組み家屋とされているホッペナーハウス ↓ クリスマスマーケットもやっていました。 旅行日程表には『バスでエリカ街道を通り、リューネブルクへ』となっていますが、エリカ街道には季節のせいかエリカは咲いてませんでした。 ただの荒野です。 リューネブルクのマルクト広場ではクリスマスマーケットをやってました。 そしてイルメナウ川沿いの家並みを見る為に川沿いに移動しました。 川沿いからの帰りは各自好きなように先程のクリスマスマーケットがあった場所のクリスマスツリーの下に集合になっていたのですが、帰り道を母に任せていたら迷ってしまい違う教会のようなところに出てしまいました。 しかしどうにか私が自力で時間内に集合場所に戻って来ました。 野鳥に餌をあげるのが流行っているのか野鳥の餌台のような物が売られているのを何度も目にしました。 ←結構いい値段 ←クリスマスマーケットにも ドイツ人は鳥が好きなのか? クリスマスマーケットにはキリスト誕生シーンを再現した人形も置かれています。 ↓ マルクト広場横にはハイネの家もありました。 バスでハンブルクへ移動。 夕食はソーセージでした。 そして付け合せに出ました!!ぐちゃぐちゃジャガイモ。 昼は茹でたジャガイモが付いていました。 ドイツはビールが名産だという事なのでビールを頼んでみました。 ドイツではグラスにちゃんと目盛りがあります。 これはビールの泡で量を誤魔化せないようにだそうです。 流石ビールの国だ。 ■クリスマスマーケットを巡るドイツの旅 3 2011年12月15日 ハンブルク港等を車窓観光しました。 港町の為にここには歓楽街レーパーバーン等もあるとか・・・。 ■レーパーバーン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 レーパーバーン(Reeperbahn)は、ドイツ・ハンブルクのザンクトパウリ地区にある歓楽街。ドイツ国内でも屈指の知名度を誇り、「世界で最も罪深い1マイル」などとも称される。ビートルズが世界的に有名になる前、このレーパーバーンが活動の中心地であった。「レーパー」という語は低地ドイツ語のロープから由来しており、かつては船用のロープを製造する地域であった。 ハンブルクはドイツ屈指の港湾都市であり、長い航海を経て港へ帰還した船員が上陸する地であった。大勢の海の男たちは、無事港へと戻ると女性とのひとときを求めて歓楽街へと駆け込んだため、風俗産業が発展していった。また、この地には多くの合法・非合法的な移民が居住し、小規模な中華街も形成されたほどであったように、各地の文化が混合する空間でもあった。 ドイツ人は真面目なイメージがあるんだけど・・・ハンブルク、ここには現代の吉原のような所があるらしい。 話を聞いただけで実際には見てませんが、飾り窓の中に売春婦がいるらしい。 その後、リューベックへ ここは塩で栄えたエンザの街なんだそうです。 ホルステン門 ここにも移動遊園地の観覧車が。 移設する費用が掛かって採算が合わないのでは?と添乗員に聞いたら、反対なんだそうです。 ずっと同じ場所にあっても一年中はお客が来ないからこうして人が集まる場所に移動して営業するそうです。 マン兄弟記念館ブッデンブローク・ハウス ■トーマス・マン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 パウル・トーマス・マン(Paul Thomas Mann、1875年6月6日 - 1955年8月12日)はドイツの小説家。リューベックの富裕な商家に生まれる。当初は実科を学んだが処女小説『転落』が認められて文筆を志し、1901年に自身の一族の歴史をモデルとした長編『ブッデンブローク家の人々』で名声を得る。その後市民生活と芸術との相克をテーマにした『トーニオ・クレーガー』『ヴェニスに死す』などの芸術家小説や教養小説の傑作『魔の山』を発表し、1929年にノーベル文学賞を受賞した。 1933年にナチスが政権を握ると亡命し、スイスやアメリカ合衆国で生活しながら、聖書の一節を膨大な長編小説に仕立てた『ヨセフとその兄弟』、ゲーテに範を求めた『ヴァイマルのロッテ』などを発表。終戦後もドイツに戻ることなく国外で過ごしたが、『ドイツとドイツ人』などの一連のエッセイや講演でドイツの文化に対する自問を続けた。 兄ハインリヒ・マン、長男クラウス・マンも著名な作家である。 トーマス・マンの故郷リューベックのメング街に「ブッデンブローク・ハウス」がある。かつてマン家がこの場所に住んでいた。建物自体は第二次世界大戦で破壊されたが、これを後に再建し、トーマス・マンと兄ハインリヒ・マンの記念館としたものである。1階にはマン兄弟関係書籍が展示販売されており、2階はハインリヒ・マンの、3階はトーマス・マンの展示場となっている。 リューベックのクリスマスマーケットでは「ニーハオ」ではなくちゃんと日本語の挨拶をして貰えました。 それは「ドモ」でした。 ドモって便利な言葉だよね~いっそのこと挨拶はドモで統一したらいいんじゃないかな。 ヽ(ヽ゚ロ゚)!!! サンタさんの帽子かと思ったら、おっぱいが付いてる!! 男バージョンもある!! HAHAHA意外とドイツ人はおちゃめさんですね~。 ってちょっと待て!確かドイツのクリスマスは日本の下心満載のクリスマスと違って厳粛な宗教儀式の一部じゃなかったのか? クリスマスマーケットの前にはキリスト生誕の図が人形とかで再現(クリッペ)されてるし。 ど~なってるんだ~。 どんな人が買うんだろう?ちらちら見ていたのですが、私が見張っていたせいか残念ながら誰も手に取ったり買ったりしませんでした。 昼食はサラダとロールキャベツと茹でたジャガイモでした。 必ずと言っていいほど出てくるジャガイモ。 飲み物はずっとビールばかりっていうのも良くないと思い、紅茶を頼んだら横にクッキーが付いて来た。 食後、シュヴェリーンへ シュヴェリーン城 残念ながら工事をしている所があったのですが、とても綺麗なお城でした。 中の内装なども綺麗でした。 お城の外でユリカモメらしき人懐っこいカモメが!! 食べ物あげたら手から食べてくれました。 その後、ベルリンへ ベルリン到着後レストランで夕飯でした。 ベルリンにはベルリーナヴァイスというベルリン限定のシロップ入りのビールがあるということだったので赤と緑があるということだったので赤を頼んでみました。 スープ、牛肉と炒めたジャガイモ、紫のザワークラウト、デザートにアップルパイのような物が出ました。 食後、ホテルに行きました。 ドイツクリスマスマーケットの旅 総集編2 ドイツクリスマスマーケットの旅 総集編3 海外旅行記 目次 親ばかインコ日記2 ホーム ジャンル別一覧
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